藤井吉彦とは ~その①簡単なプロフィールから~

行政書士藤井吉彦
 

広島県福山市で相続・後見業務を中心に行っております行政書士の藤井吉彦です。

 

 

 

私の名刺をご覧になった方はご存じですが、名刺に簡単なプロフィールが書いてあります。

 

直接お会いした方には、このプロフィールを見ていただき、藤井という者のさわりだけでも知っていただけるのですが…
ホームページを見ただけの方(直接お会いしていない方)には知ってもらうことができません。

 

 

 

 

そこで、今回から数回にわたって「藤井吉彦とはどういう人間なのか?」知っていただこうという企画です。

 

 

 

 

では、簡単なプロフィールから始めます。

 

① 氏  名
   藤井吉彦(ふじいよしひこ)
   命名してくれたのは母方の祖父で、候補が2つあったそうです。
   第1候補 吉彦
   第2候補 俊輔
   父が「吉彦」の方を取ったため、数か月後に産まれた従弟の名前が「俊輔」になりました。

 

② 生年月日
   昭和49年4月19日(47歳)牡羊座

 

③ 出  身
   広島県福山市
   大学時代に広島市に4年間住んでいただけで生れも育ちも福山です。

 

④ 出 身 校
   広島加計学園英数学館中・高等学校 ⇒ 広島修道大学(法学部)
    大きな声では言えませんが、数年前、一躍有名になったあの加計学園の系列校です。

 

⑤ 家族構成
   妻・子供3人(男2人・女1人)・ポメラニアン(♂)

 

⑥ 趣  味
   剣道:小学2年生から剣道を始め、今も続けています。
   キャンプ:キャンプ歴7年くらいです。
    友人から要らなくなったテントをもらったのを機に一気にはまってしまいました。
   車:2~3歳くらいから興味を持ち、かなりの車好きです。

 

⑦ 特  技
   エンジン音やマフラー音で車種が当てられる。
   :最近はハイブリットや電気自動車が増え、分かりにくくなりつつあります。
   チャーハン作り:学生時代はよく作っていました。
   お好み焼き作り(特に広島焼)
   :大学生時代の広島ではまり、家でも食べたいと研究…今では自称、お店が出せるレベルです。

 

 

 

 

 

さて、ここから少し詳しくご紹介したいと思います。

 

 

私は、昭和49年、藤井家の長男として生まれました。
一歳下の妹との2人兄弟で4人家族、父親が「THE昭和」のメチャクチャ厳しいオヤジというサラリーマン家庭でした。
父親はただただ「怖い」というイメージしかなく、言うことを聞かず、駄々をこねていると家の外に放り出されることもあり、今なら完全に虐待で通報されるレベルかと思います。
なので、社会人になるくらいまで父親は怖い存在でした。
ただ、あれくらい厳しくしてくれたおかげで、今の自分があると思っていて、正直、父親には感謝しています。

 

 

 

幼少期はどんなにかっこよく決めても常に黄色い長靴というスタイルで、幼少期の写真はこればかりです。
昔からこれと決めたら、そればかり…だったようです。

行政書士藤井吉彦

↑当時の写真です。この頃からすでに乗り物好きだったようです。

 

そんな中、3~4歳の時、「雑貨屋籠城事件」が起こりました。
いとこの家の近くの雑貨屋の本のコーナーで見つけた「自動車図鑑」どうしても欲しいと…
何時間も粘ってとうとう母親が根負けしました。(幼少期の記憶の中で鮮明に覚えている記憶の一つです)
私の車好きが一気に開花した瞬間でした。
この「自動車図鑑」は結婚するまで持っていた記憶があります。←整理しているうちにどこかに行ってしまいました。

 

 

 

小学校に入学すると背が高いというだけでなぜか目立つ存在でした。
上級生から目をつけられてはよく何かしら無理難題を突き付けられ、低学年の時はよく学校で泣いていました。
それを見かねた両親の心身ともに強くなってほしいという思いから「剣道」を習いはじめました。
後にも書きますが、高校卒業するまで剣道部に所属することになります。

 

~その②中高編につづく~

 

 

 

ここまで、長文をお読みいただきましたありがとうございました。
その②は中学・高校時代についてです。
ご興味をお持ちいただいた方は次回以降もよろしくお付き合いください‼

 

 

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